資本主義社会 6
これらの事例はあまり教訓にはなりません。
というのも、われわれの経済においては買収がこの種の投資活動を生み出すことはほとんどありえないからです。
たとえわれわれがあちこちでいくつかの不意の投資決定に直面するのを避けられないとしても、教育水準のゆえに、そしてとりわけ現存の管理手続きのゆえに、発展途上のあらゆる経済(ソ連、そしておそらく明
日のロシアをも含めて)において見られるような派手な買収慣行は例外なく妨げられるでしょう。
発展途上の経済を除けば、買収が投資に影響を及ぼすことはほとんどないと思われます。
それゆえ、買収の所得を経済発展の資金調達に振り向けたいという期待が裏切られたとしても、それは将来を占うのに何の役割も果たすことはないのです。
実際、買収の所得がどこでつくり出されるにせよ、およそあらゆる買収の所得に対して同じような非難が浴びせかけられます。
買収の所得はおおっぴらにすることが難しく、その用途はかぎられています。
買収の所得は相当な額であり、しかも権力ヒエラルキーの上層部にあたえられるだけに、なおさらその用途はかぎられているのです。